挫折、なんて言うほどかっこよくない

芸術が好きだ。
心揺さぶられるような映画、美術作品、音楽、文章がとにかく好き。
つくった人の世界観、考え方を味わうことが本当に好き。

好きで好きで、尊敬していて、憧れているとやっぱり、その世界に関わりたい、身を持って知りたいと思うようになる。
映画製作やお芝居に挑戦したこともあった。芸術関係の仕事にも就いていた。

ところが、実際にやってみてわかったのは、心を揺さぶってくれるものたちは本当に様々な人々が骨身心身を削ってつくられていたということ。
本当に想像を絶する大変さ。

残念なことに、私にはそこまでの根気や体力がなかったということを思い知った。
この失敗のような経験は1回だけでなく、もう何度となく繰り返してきてしまった。部活でやっていた音楽もそうだ。根気や体力不足は痛いほど感じていたのに。

そんなことを繰り返してばかりの20年と少しの私の人生。
挫折、なんていうほどかっこいいものじゃない。挫折って言えるほど努力もできてない。かっこわるい。

なぜ性懲りも無く、何度も何度も繰り返したのか。その世界に魅了されたのはもちろんだけれども、一番大きく頭を占めていたものは『関わるとは、仕事にするということ』という思い込み。

関わることは仕事でなくてもいい。
芸術だって、鑑賞する人がいて始めて、芸術として成り立つとも考えられる。
最近は、とことん芸術を愛することも関わるということではないかと思い始めた。

沢山の芸術に出会い、深く味わい、心身に染み込ませてゆく。これは人生をより楽しく、豊かにしてくれる。
そして、その豊かさを周りに少しでも還元することができたらいいな。それは”関わる”ということだと思う。

そしてきっと、とことん芸術愛する先に、今の私には想像し得ない世界があるのかも、とわくわくできるようになった。

最後に
よしもとばななさんの『おとなになるってどんなこと?』でハッとさせられたことを。
''とことん自分を極めることの大切さ。そしてそれが誰かを救うことがある。”

仕事とアイデンティティ

ここ1年間で学生から社会人へとステージが変わった。
日々もがき悩み、失ったり、人に迷惑や心配をかけたり、様々な経験を得る中で、やっと大切なものに気づけてきた。
まだまだ未熟な23歳だけど、やっと自分の基盤が築けてきた気がするので久しぶりにブログを更新。


学生だった時の私は、仕事に対して
『心身尽くし、プライベートを犠牲にしても熱心に働くことがかっこいい』と思っていた。
そして自分の好きな『芸術』に関わる仕事がしたいと考えていた。

趣味は色々とあるけれど、友達が多いわけじゃない。
ならば仕事に一生懸命な人になろうと思っていた。
本当に愚かだけど、人間関係での欲求不満を仕事で打ち消そうとしていた気がする。

そして自分が憧れていた世界、一見華やかな世界…その実、骨身を削るような世界で働いた。
とにかくとにかく毎日がめまぐるしくて、仕事のためだけに生きているような日々だった。

そういう環境を望んでいたはずだけど、実際にやってみたら、何のために生きているのかわからなくなった。
身体もボロボロになって、心も追い詰められていった。

そんな時、私の周りにいてくれた家族や友達が救ってくれた。
優しい、大切な人たちのおかげで仕事を辞めることを決断できた。
この決断が合っていたかどうか悩む時は多々あったが、やっと最近は本当にこれで良かったんだと思う。


仕事は心の隙間を埋めてくれない、仕事は仕事。それ以上でも以下でもない。
これを心底理解するまで随分時間がかかった。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉の通り、またあの華やかな世界に戻りたいと思ったこともあった。
私は恥ずかしながらも、アーティスト気質な人に憧れ、感化されやすく、どうしても憧れを捨てきれなかった。
(そもそも感化されやすい時点で、そんな人が表現者になんて向いてない気もする)


人には、いろんな人がいるのだ。
誰が正しいというわけではない、それぞれ個性があるだけ。
なのに自分を否定して、自分にないものを憧れ続けるのは自分を本当に疲弊させるし傷つける。
今だってアーティストの方々は本当にかっこいいと思う。まだ100%憧れを捨てきれたわけじゃない。
でも、自分にとって幸せとなるのは、社会の役に立てる度合いから言っても
自分に合った、自分を活かせるところで生きていくことがベストなんだと思う。

世間一般でなく、奇を衒うのでもなく、自分の価値観を知り、それを信じていくことは本当に大切なことだと思う。
それが本当に本当に心にストンと理解するまで
これもまた随分と時間がかかった。


その人の価値は仕事では測れない
目に見えてわかるスペックでもない
目には見えない、その人の本質を大切にしていきたい。
やっと、そんなあたりまえの考え方がちゃんとわかってきた。

そして私は、日々の何気ない暮らしと周りの人を大切に生きていきたい。
毎日をちゃんと暮らしていく、そんなあたりまえを大切にする。


最後に、自分が何だかよくわからなくてもがいていた時に、助けてくれたものを一部抜粋して。。。

書籍
『うつくしいひと』 西加奈子
『漁港の肉子ちゃん』 西加奈子
『チエちゃんと私』よしもとばなな
『おとなになるってどんなこと?』 よしもとばなな

ドラマ
『心がポキっとね』

映画
『あん』
『フランシス・ハ』
『きみはいい子』
『あぜ道のダンディ』
『お盆の弟』


不器用だったり、世間で言う''普通”になれなかったりした人々に対して
こんなにも優しい、愛のある目線をくれるものがあるんだなあと思うと、この世もまだまだ捨てたもんじゃないな、と思う今日この頃でした。

思いのズレ

大切な人と意見が大きく違った。ほぼ、正反対ってくらい。


意見が違うのは当然のことだけど
根本的な大切な部分で、ズレた。



長い長い付き合いだったけど、ああ、こんな違いがあったんだなあ。

似てるところが沢山あって、これも同じかなって思ったら違ったんだなあ。


それを悲しむのは変な気がするけれど
心の中で悲しく思った。



人って、まるっきり同じ人なんていない。

昔はその言葉を、人それぞれ様々な個性があるんだなって嬉しかった。

今は、人って孤独だなあって思う。
まるごと100%わかりあえることってないんだね。


解り合おうとするより、認め合うことを。

大好きな歌手がそう歌ってたなあ。



まだ、それでも寂しさはぬぐえない。

東京という魅力

ある日のこと。
電車に乗っていると、隣の席で女子中学生くらいの子が二人で楽しそうにおしゃべり。

ふと、耳に飛び込んできた会話は


わたし東京にいきたい!ねえ、こんど一緒にいこう!いこうよー!!

来年!来年の3月になったらもう、行ってもいいよね?いこういこう!!


どうやら彼女たちは、私と同じ神奈川県に住んでいる模様。

神奈川県に住んでる子たちにとっても
電車一本で行ける距離といっても
東京、は、なんだか別世界のキラキラした場所って思うんだよね。不思議と。
私も中学生の頃は東京に憧れ、高校生になったら東京の大学に行きたいって思ってた。

いろいろあって神奈川県内の大学に通っているけれど
大学生になって気軽に東京に行くようになったけれど
まだ少し、私のなかで特別な 東京。

空気だって、水だって神奈川県の方が美味しいのに。
まちの落ち着きも神奈川県の方があるのに。

不思議な魅力。

メモ

どうやら
結婚して、さらに、上手くずっと続けていくには
精神的にも肉体的にも、人に対して寛大というか
受け止められて、人と一緒にいることを楽しめるタイプの人なんだろな。

一方、上手く行かない人は
ひとりの気楽さに慣れてしまい
ひとりの時間がどうしても欠かせなくて
肉体的にも精神的にも、誰かとくっついたり一緒なことが苦手なタイプなんだろな。

対談を見ていて思った事をメモ。

ちょっとした出来事。

思いがけない優しさだったり

無償の思いやりだったり。



ちょっとしたサプライズのように

人の優しさに触れて
びっくりして
心が温かくなって。

心がキュっとして。


こんな私なんかに…って、いつものマイナス思考が現れたり。

感謝の気持ちでいっぱいになったり。


私も優しい人になりたい。



そう思わせてくれた、素敵な小さな夜の出来事を忘れぬように
ここに記しておく。

自己中心より、思いやりがあった方がきっと楽しい。

不思議なこと。

最近今までとは違うことがいくつか。

就活のプレッシャー?
単位のプレッシャー?よくわからないけれど。

まず
やたら眠くて眠くて。10時間くらい寝ないとダメになってる。

あと
やたら音楽を貪り聴いてる。
今までも音楽は大好きだけど、聴く回数が増えただけじゃなくて
音楽聴きながら何かすることができないほど真剣に聴く。

なにか充電しているような、ここ最近。