立川左談次さん。

昨年の夏頃、『昭和元禄 落語心中』という漫画に夢中になり、落語を観に行くようになった。

渋谷らくご(通称 シブラク)』が、映画で馴染みのあるユーロスペースの2階でやっていることもあり、初心者にも敷居が低く感じた。

小さい会場なので表情をじっくり見ることができるし、1人約30分・4人の落語家さんを一気に見られるところが面白くて、お気に入りの場所になった。

 

何かを好きになると、どうしても『推し』をみつけたくなる性分。

シブラクで配られるフリーペーパーには、出演する落語家さんたちの紹介がポップにされてて。

その中で初めて気になったのが、立川左談次さんだった。

 

初めてみた左談次さんは、

マスク(赤いばってんがついてる)をつけて、スケッチブックを持ちながら登場してきた。

なんとも、喋れないから、スケッチブックを使いながら落語をする、と言うのだ。

喋らない落語、なんてことが成立するのかな、と初心者のくせにドキドキしながらみつめるのも間もなく、観客がぐいぐいと左談次ワールドに引き込まれていくのが、本当に感覚的に伝わってきた。

スケッチブックと身振り手振り。もう、それで十分。落語のお話の世界が作られていた。

茶目っ気たっぷりで、でも、みんなを夢中にさせる落語を繰り広げていて。

みんなが笑って、ワクワク楽しい空気感に包まれると、左談次さんも嬉しそうにニコニコしていた。

あの、約30分ほどの出来事は強烈な思い出。

 

それから数ヶ月。

なんだかんだと、仕事のスケジュールと合わず左談次さんを観に行けない日々。ツイッターでユーモアを忘れず闘病している姿を陰ながら応援していた。いつか、いつか必ずまたお目にかかりたいと思いながら。

 

2日前に訃報を目にした時、

あっ、間に合わなかった。きっとまた、と思ったまま機会を逃してしまった、と。後悔。

ユーモアと茶目っ気たっぷりの左談次さん。落語って、お堅いものじゃなくて、案外自由なものなんだ、と教えてくれたこと。辛いはずの闘病も、『趣味 入院、特技 退院』などと笑いにしていたこと。落語をギリギリまでしていたこと。とてもかっこいい生き様を目の当たりにできたこと、幸せです。

御冥福を心よりお祈りします。