台風がきた日

今日は朝から出勤。
台風も朝から大暴れ。

昨日のうちから全身着替え、長靴、レインポンチョ、鞄に防水スプレー吹きかけたりと…用意は完璧。
朝は早く起きるつもりがちょっぴり寝坊したけれど、無事職場へ着き、全身着替えたので気持ち悪さもゼロ。

みんなもぎゃあぎゃあいいながら出勤してきて、いつも以上に賑やか。
仕事中も誰かと会う度に雨風の状況を話して。
やっぱり、ひとは敵がいる方が団結するんだなあなどと思ったり。

でも心配していた台風、無事に過ぎてくれたようで一安心。

準備万端だったからか、はたまた、台風以外の心配事がとても良い形で解決したからか。
今日は台風。だけどとても穏やかな気持ちで過ごせた。

悩みの渦中にいる時

悩みの渦中のおともに、時間があれば読書をしている。

自己啓発本やビジネス書じゃなくて、小説を。
悩みに対する答えは、人に求めても気休めにしかならないと思うから
好きな作家さんの本を読んで、頭をスッキリさせて、小説に散りばめられてるかもしれないヒントと頭の中に埋もれてる考えが、答えのきっかけになったら、と思っている。

悩みの渦中にいる時は、映画や音楽の存在もいつも以上にありがたい。
あと、おいしい食べ物や飲み物も。

具体的な目標や夢のようなものと、
それへと向かうための手段やステップを認識できれば
少しは不安も消え、前向きな気持ちになれて未来が見えてくるのかなあ。

ひどく心を乱される知り合い向けのSNSも、今はあえて見たりしている。
強く嫌悪感を抱くものにも、なにかヒントがあるはず。

まだまだ模索は続きます。

必要とされること

家族や、ごく一部ではあるけど友人からは、自分のこと必要と思ってもらえていると感じる。

そういう人が僅かであろうと存在してくれていることはありがたい。
私自身もその人たちのことを必要と思っていることも。

でも。
社会的に、そして、パートナーとして
必要だ、と強く思ってもらえることが
これからの人生にちゃんとあるのかな?と不安になる。
人生にとって、きっと、大きな2大柱。

もちろん、ありのままの私を認めてくれ〜とか乱暴なことは思わない。
未熟なところ、至らないところがたくさんあるのもわかってる。

でも今は、いつかその域に、
必要だ、と強く思われることが、わたしの未来にちゃんとあるのかとても不安だ。
先が見えないのは当然だし、色々と行動しなければいけないんだけど。
ただ漠然と不安。
まだまだ、昨日受けたダメージから抜け出せずにいる。

おいてけぼり

①友達・知り合い向け(1年以上放置中)
②知ってる人には言えないことをつぶやく用(時々更新)
③好きなアイドルについてつぶやく用(一番頻繁に更新)

の3つのツイッターアカウントを持ってる。
①が一番チェックせずに、③ばかり使ってる。


久しぶりに①のタイムラインをじっくり見てみたら、心がズタズタになった。
そうだ、逃げてただけだったんだよなあ。勝手にイキイキしてる皆をみて傷ついた。

仕事も、恋愛関係も、なんでもかんでも。
同世代の友人知人より、わたしはかなり遅れている。遠く遠く、感じる。
さらに、大好きだった人が知ってる子と付き合ってて幸せそうなことも知ってしまった。
うーーん、これで本当にずっと引きずっていたものと別れられるかもしれないけど。ショックが大きい。お盆休みそうそう立ち直れない。

計画立てるの好きじゃなくて、行き当たりばったりを楽しんでいたけど不安になった。
何をしたいか分かってないと、ちゃんと考えてそれに向かわないとだめ?こんな発言すら幼稚??


苦しい、不安、さみしいような気持ち
今のこの心と向き合わなきゃ、どんどん置いていかれるのか?
そもそもみんなと同じ方向に進むのがいいこと?でも特別、他の方向に魅力を感じてる訳でもないのに、こんなこと思うのも逃げ?
ああ息苦しい。

でも。いまはもうちょっとこの気持ちと向き合ってみよう。みなければ。

そんな、色気のない20代半ば手前の夏休み。

ノスタルジーのまち

最近2回ほど、大学生の頃よく訪れたまちへ行く機会があった。

大学生の頃、と言ってもたった2年ばかり前のことなんだけれど。
わたしを取り巻く環境はガラリと変わり、あの頃の自分が今のわたしを見たら顔をしかめるかもしれない。

まちを訪れると、たった数年前ではあるんだけれど忘れかけていた当時の気持ちを思い出し、ノスタルジーにつぶされそうになった。

しかし、大学生の頃の記憶がまぶしい、というほど輝いた思い出ばかりがあるわけじゃない。
サークルをきちんとしていた訳でもなく、授業もさぼりがちであった。大学の沿線の駅をあちこち一人でめぐり、カフェでぼうっとしていることも少なくなかった。自分はこれからどうなるんだろうと期待ばかりし、あれこれ手を出してみてはすぐやめたり。人間関係を面倒くさがったり。

それでも、ごくごく少なくても、こんなわたしととても仲良くしてくれた子もいる。
当時のちょっぴり孤独な気持ちを思い出しつつも、友人と過ごした楽しく、少しばかばかしく、でもあの時にしかつくれなかったであろう思い出がよみがえる。


このまちは、いつ来ても人が溢れかえっている。
わたしとは接点がなく、きっとこれからも知り合うことはないであろう、このまちにいる沢山の人々。
この人々のひとりひとりにも、このまちに関する思い出、そして学生時代や社会人時代など、その時々に欠くことのできない、思い出をつくりあった大切な人がいるんだろうと思うと、とても不思議で、温かい気持ちに包まれた。

ある一定の時期だけの関係に結局なってしまってもいい。自分の今までを振り返った時、その時々に大切に思える人がいるのは幸せだ。
わたしも、きっとこれからまた新しい友人関係ができるだろう。
それを楽しみに、まわりの人と楽しく大切に日々を重ねていきたい。

女性アイドルがすきな女の子。

わたしは女性アイドルが大好きだ。

けど、同性のものに憧れるのはなかなか厄介なことでもあると思う。

憧れや嫉妬は、どんなカタチであれ付き纏うと思う。これで結構苦しい思いをしている人もいるんじゃないかな、女性で、女性アイドルが好きな人はみんなどうやって距離感を取っているのか気になるなあと思いつつ、私が思うことを殴り書きのように綴っていきます。ほとんど自己満足のようなものです。悪しからず。

 

思い返せば、女子校にいながらもジャニーズなどの男性アイドルには全くハマらず、幼稚園生の頃から、SPEED、モーニング娘。AKB48乃木坂46…ざっと挙げるとこんな感じでずっと女性アイドルの虜である。

『同性のアイドルが好きってよくわかんない』とか『え、レズなの?(笑)』みたいなことはよく言われてきたけど、自分でもなぜ同性アイドルばかりが好きなのかわからないし、レズでもない。

わたしにとってのアイドルの一番最初の記憶は、モーニング娘。が毎週やっていた冠番組である。(SPEEDは映像ではなく音楽ばかりを聞いていたし、アイドルという認識がなかった。)画面には『かわいい』があふれていて、バラエティをやったり楽曲披露をしたり…どれもがとにかくかわいくてかわいくて、当時小学生の私は、そんな年上のお姉さんをきっと憧れの眼差しで見ていたんだと思う。もしくは、わたしもお姉さんになればこうなるんだろうと。

当時の私といえば、母の趣味でボーイッシュなショートヘア、ジーパン、Tシャツが定番であった。身長が高かったこともあり、あなたは女の子らしいものよりも男の子っぽいものが似合うよ、と。好きな色は水色と言っていたけれど、内心、持ち物がピンク色ばかりの女の子が羨ましかった記憶が強く残っている。わたしも堂々とピンク色の持ち物を持って、ピンク色が好きと堂々と言ってみたかったのだ。

そういえば、女の子らしいアイドルが好きなのはこの経験が影響しているのかも。

 

『かわいい』に憧れつつも、自分が『かわいい』になれない葛藤は小学生から、20代になった今でも付き纏っているんだから嫌になっちゃうよね。

今だってボーイッシュではないものの、かわいらしい感じ(CanCam Rayとか)には抵抗がある。

 

そして、社会に出る頃になると、このスーパーかわいい女の子たちが『かわいい』だけでなく様々な武器(ファッション、お芝居、トーク、学業…etc)を持っていることに尊敬と、打ちのめされる感覚に出会ってしまうのだ。

『かわいい』というものすごい武器を持っているのに、それプラスのものを努力で武器にし、女性アイドルという旬が短いものを、自分の力で自分の道を切り拓いていく様は本当に圧巻である。

ふわっと、特に目標もなくなんとなく日々を費やしている自分にとってこんなにドキリとさせられる存在はない。(ああ、ここまで書いていて、なんだか自分の女性アイドルの愛で方はものすごい自虐というか、ドMというか…なにやっているんだかと思えてきた…)

ただ、そんな、かわいくて、かっこいい生き様をしている彼女たちの姿は、やっぱり同性として憧れを抱くのは当たり前なんじゃないかとも思えてくる。よく言われていることだけど、女の子が女の子アイドルを好きになるのは、セーラームーンを好きになるのと同じことっていうのは本当に真理だと思う。

 

外見だけでなく、内面的な生き様までも憧れてしまう存在がいるのは尊くありがたいことだけれど、見る度に自分の未熟さや至らなさを実感してしまう辛さもついてくる。でも、こんな辛さは大好きなアイドルたちが日々味わっている辛さと比べれば大したことない。そして、アイドルたちは個々それぞれに合ったかわいらしさと、武器と、新しい道を切り拓いていく。画一化されず、それぞれにあったものを模索していく。

やっぱりわたしはこれからもアイドルをずっと好きなんだろうな、それにここまで書いて、思っていたよりも清々しく前向きな気持ちになってきた。

 

彼女たちに恥ずかしくないようにわたしも生きて行こうと思う。

大好きだったタワレコが閉店する

『地元のタワレコが閉店する。』

ふいに、知り合いから聞いた時とてもショックだった。

中高生の頃、しょっちゅう試聴しに行っていた。
少ないお小遣いの中から本当に好きだ!と思ったCDを買ったり
好きなアーティストをみつける出会いの場だったり。
もはや、地元のタワレコは私の青春の一部。


ところが
考えてみると、ここ最近はあまり行ってなかった。

iTunesや、レンタルで済ませてしまうことが増えた。
YouTubeとかで、家に居ながら無料で音楽も聴けてしまう。

それでも時々、タワレコへと足を運ぶと
お店の雰囲気だけでもワクワクするし、少し質の良いヘッドフォンで試聴することもドキドキと楽しい。


これから販売店は減っていってしまうのかな。
足を運ぶこと、直接物を見ること、お店の雰囲気を楽しむこと…
CDは聴くところからではなく、買いに行く時点からエンターテイメントだったのに。


昔の方が良かった、と言う人にはなりたくないけれど、寂しい。寂しい。

便利さに惑わされず、もっとお店を利用していたら良かったのかな。
私も、閉店へと追いやってしまった小さな一部なのかも。

自分が好きなものをどう購入するか。
意識していかないと、知らぬ間に楽な方へ楽な方へ。
知らないうちに、好きなお店を苦しめる1人になってしまう。

オンラインで購入することを悪だとは全く思わないけど、対面販売やお店がなくなったら本当に寂しい。